僕の中には"大人の僕"と"子供の僕"がいる










Adult & Child










 家出した理由なんてない。
 しいて言うなら、逃げたかったのかな。
 大人になることを強要されて、それに従うことしかできない馬鹿な自分から。
 それから周囲の期待の目からも、逃げたかったかな。
 それは子供っぽい我ままなのかもしれないけれど、僕はその我ままに従った。
 でも僕は今、家出をしてことを後悔している。

「はぁ・・・。」

 溜息をついても何かが変わるわけじゃない、そう思った。
 しかし現実は、違ったのだ。

「おい。」

 顔を上げれば、怖そうな茶髪の男。
 耳にはピアス、アクセサリーじゃらじゃら。
 だらんとした服に、更には腰パン。
 しかも時間は夜の10時過ぎ。
 僕が男でナンパじゃないなら、カツアゲだ。

「あ、カツアゲとかそーゆうのじゃないよ。」

 男は僕が財布を出す前に、そう訂正した。
 カツアゲじゃないならいったい何の目的があって声を掛けてきたんだろう。
 不審そうに見上げた僕を見て、男は笑いながら訪ねる。

「もしかして家出してきた?」

 僕は迷った挙句に首を縦に振った。

「やっぱ?俺と一緒だな、お前。」

 この人が家出?とてもそうとは思えない。
 外見とかそういう問題じゃなくて、荷物がなさすぎる。
 冷静に分析する大人の僕がいる一方で、子供の僕はこの男に興味津々だった。

「荷物・・・・は?」
「ん?あぁ、あっち。」

 男が指差した先にはバイク。
 その足元には小さなボストンバッグが転がっていた。

「ねぇ、行くあてあんの?」

 そう問われて僕は言葉に詰まってしまった。
 もちろん行くあてなんてどこにもない。
 計画的におこなった家出ではないし、親戚などのところを尋ねたら、たちまち家に戻されることは目に見えている。

「ない?ないなら俺と一緒に来ない?」
「え?」
「あ、別に変なことしないから。」

 この時、何でこの人について行ってしまったのかわからない。
 結果的には良かったのだけど、常識的に考えれば知らない人について行くなんて幼稚園生だってしないだろう。
 なのに僕はついて行った。
 たった今、ここであったばかりの男―奈良崎悠(ならさきはるか)を信じて。










「ところでまだお前の名前聞いてなかった。名前、何?あ、俺は奈良崎悠ね。」
「八代京介。」
「八代っていうと、ヤシロフーズ思い出すな。」
「それ、僕の父の会社です。」 
「嘘っ、マジで?」
「マジです。」

 バイクに二人乗りして、1時間くらい走ったところの公園のベンチに僕たちは腰を下ろした。
 そう、ヤシロフーズ社長八代秀ニ郎の一人息子、そしてヤシロフーズ会長八代京太郎の唯一の男孫、
 それが僕の肩書きだ。

「はぁーお坊ちゃんなわけね。で、いくつ?」
「15です。」
「俺、17。え、15ってことは中三?」
「そうです。」
「受験とか、いいの?」
「中高一貫なんです。」
「ふーん。あ、普通にタメ語でいいよ。なんか堅苦しい。」
「すいません。」

 想像よりも奈良崎はおしゃべりだった。
 もっと怖い人だと思っていたけど、意外と温和だ。 
 そのせいか僕はすぐに打ち解けて話し始めてしまった。

「何で家出したの?」
「・・・・・・・・。」
「あ、言いたくなかったら言わなくてもいいけど。」
「なんか逃げたかった。」
「何から?」
「親の目、周囲の期待・・・なんかそういうの。」
「八代はお坊ちゃまで、優等生・・・・かな?」
「優等生って言葉、嫌い・・・・。」
「あ、ごめん。」
「ぅうん、別に。」

 いつもは絶対に言わない言葉が僕の口から漏れてしまった。
 なんだかまた胸の奥がどうしようもなく痛くなってくる。
 優等生と言われるたびに、大人の僕は誇らしく思い、子供の僕はそうとしか見られない自分に腹を立てている。
 
「奈良崎は?」
「俺?まぁー家出って言ってもこれが初めてじゃないんだけどね。家族とちょっと仲悪いんだ。」
 
 苦笑いしながら奈良崎は言う。

「高校には一応行ってるけど、それは友達がいるからねー。」
「そうなんだ。」
「八代、俺の友達より大人っぽい。」
「よく言われるよ、大人っぽいって。」

 大人っぽいって言われるのも嫌いだけれど、あえて言わなかった。

「・・・大人っぽいも嫌い?」
「え?いや・・・別に。」
「優等生って言われたときと同じ顔してるよ。」

 僕はただ黙るしかなかった。

「八代ってさ、もしかして一人でいるの好き?」
「多人数は好きじゃない。」

 クラスの端っこにかたまって、大声で話しているクラスメイトとはあまり関わりたくなかった。
 その輪の中に入っても、僕は楽しくやっていけないと思った。

「でも、寂しがり屋だろ?」
「寂しがり屋じゃないよ、別に。」

 一人で本を読んでいても、別に寂しいなんて思ったことはなかった。
 小さい頃から両親は仕事でいなかったけれど、その代わりに祖母が僕の面倒を見ていてくれた。
 その祖母も去年亡くなってしまったけれど。

「ぅうん、八代は寂しがり屋の顔してる。」

 寂しがり屋の顔ってどんなのだろう?
 
「昔から一人でいるのは多かったし、両親は仕事忙しかったから寂しくなんて・・・」
「だから寂しさに慣れすぎてんだって。」

 寂しさに慣れることなんてあるのだろうか?
 一人でいるということに抵抗がなくなっているのはそのせい?
 僕が考え込んでいると、奈良崎が不意に俺を抱き寄せた。

「な、奈良崎・・・何?」
「嫌?気持ち悪い?」

 俺は首を横に振る。
 奈良崎は俺を抱きしめているけど、なんか変な意味でそうしているわけじゃないから気持ち悪いとは思わなかった。

「人の鼓動って安心するんだって。」

 優しい口調でそう言われて俺は奈良崎の胸に耳を押し付ける。
 トクン、トクンと規則的な音がする。
 人に抱きしめられたなんてひどく久しぶりで、その音は妙に心地良かった。

「八代、大丈夫?」

 不意に僕の瞳からこぼれだした涙に気づいた奈良崎は心配そうに、僕の顔を覗き込んだ。
 何で涙が出てきたのか、全然わからなかった。

「俺でよければ甘えてよ。」

 一度はその申し出を断った僕だったけど、結局は奈良崎に甘えるように抱きしめられたままだった。










 次の日も、また次の日も、僕は奈良崎と一緒にいた。
 その間にも何度となく両親からの連絡が携帯に入ったけれど、僕は絶対に返そうとはしなかった。

「警察沙汰になってたらどうする?」
「わかんない。」

 奈良崎にそう言われて心配になった僕は、電気屋の店先においてあるテレビをしばらく眺めていた。
 だけど特にそれらしいニュースは報道していなくて、何となく安心した。

「大丈夫そうじゃん?」
「奈良崎は平気なの?」
「俺?誰も俺のことなんて心配してねぇよ。」
「・・・・・・・・。」

 僕は黙って奈良崎を見上げた。
 少しだけ寂しさの混じるその横顔を、僕はしばらく見上げていた。

「八代、どうした?」
「ぅうん、何でもない。」
「ねぇ、どっか行きたいところある?」

 この3日間、僕たちは転々と場所を移動していたけれど、大して広い範囲ではなかった。
 下手をすれば、知り合いに会う可能性だって否定できない。

「行きたいところ?・・・どこでもいいの?」
「道路が続いてる先ならね。」
「じゃぁ海に・・・行きたい。」

 僕の言葉に奈良崎は一瞬キョトンとした顔をした。

「海?いや、別にいいけど。何でまた?」
「わかんない、ただ何となく。」
「泳ぐとか、そういう目的?」
「そうじゃなくて、ただ見たい。海が、見たい。」

 僕の我ままを叶えるべく、奈良崎はバイクを北へと走らせた。
 着いたところは名もない海岸。
 いやきっと名前くらいあると思うけれど、僕が全く知らない海だった。

「どう?」

 夏の日差しを浴びて、海はキラキラと輝いていた。
 
「綺麗・・・・。」

 僕たちはテトラポットの上を歩いて、輝く海を眺めた。
 風が吹いて、テトラポットに打ち付けられた波が飛沫を上げる。
 その飛沫は僕や奈良崎をほんの少しだけ濡らした。
 頬や髪についた滴も波と同じようにキラキラと輝いて綺麗だった。
 小さい頃、家族で行った海の景色の記憶が甦ってくる。
 あのときはもっと南の海で、テトラポットじゃなくて砂浜の上を歩いていたけれど。

「八代。」
「何?」

 波の音と強い風の音が騒がしくて、僕と奈良崎は声を張り上げて会話をした。

「いや、なんでもないよ。」
「何?言ってよ。」
「笑ってたほうが可愛いよ、お前。」

 その言葉に僕の心臓がドキンと跳ね上がる。

「何赤くなってんの?」
「赤くなってなんかいない!」

 恥ずかしさを隠そうとさっきよりも大きな声で叫んだ僕は、その拍子にバランスを崩した。

「あっ!」
「八代!」

 差し出された奈良崎の手に、僕は必死につかまった。
 そのまま僕は手を引かれ、気づいたときには奈良崎の腕の中にいた。

「奈良崎・・・。」
「怪我しなかった?」
「だい・・・じょぶ・・・。」

 奈良崎の腕に抱かれた僕の心臓は壊れてしまうほどにドキドキしていた。
 さっき言われた言葉がまだひっかかっているみたいだ。

「気をつけろよ。」
「ごめん。」

 この間と同じように奈良崎の鼓動が聞こえた。
 でもこの間とは違う、すごく速い鼓動が。
 僕は奈良崎をかなり驚かせてしまったみたいだ。

「驚かせてごめん。」
「何もなかったからいいけど・・・すっげぇドキドキしてるよ。」

 体は離れたけれど、何故か僕達は手を握りあったままだった。
 僕の心臓はまだ早く打ち続けていて、視線の先には奈良崎の顔。

「八代、なんか俺・・・・」
「何?」
「ドキドキしっぱなしなんだけど。」
「僕も、なんか・・・・」

 まるで好きな子が目の前にいるような、この感じ。
 自然と顔が赤くなっていくのを感じて、視線を空中に巡らせた。
 繋いだ奈良崎の手が、離せない僕の手が、すごく熱くなっていく。

「八代、俺お前のこと・・・」

 いつか見た景色であるような気がした。
 波の音、足元にはテトラポット、そして誰かと繋いだ手。
 過去にこんなことはなかったけれど、どこかで体験した、そんな気持ちを覚えた。

「な・・・に?」

 怖いわけではないのに声が震えた。
 いや怖かったのかもしれない、予想してしまった奈良崎の次の言葉に。
 そして、それと同じかもしれない僕の気持ちに。

「好き、だよ・・・お前のこと。」
「僕も、好き・・・・。」

 弱々しい僕の言葉も、波音や風にかき消されることなく奈良崎の耳に届いたようだ。

「八代・・・」

 奈良崎の手が震えていた。
 しかしそれ以上に僕の手がひどく震えていた。

「ごめん、急に・・・。」

 ぅうん、と僕は首を横に振る。
 僕は何で奈良崎をこんな風に好きになっちゃったんだろう?
 どんなに考えてもすぐには答えが出なくて、僕の頬にまた涙が伝った。
 混乱する頭と、動揺する心を抱えた僕は泣いた。
 いつのまにか奈良崎の腕に抱かれて、僕は泣いた。








「笑った顔がホントに可愛くてさ・・・」

 あれから僕が泣き止むまではそうしていて、泣き止んだ後はもっと北のほうまで奈良崎はバイクを走らせた。

「なんかお前の笑顔見て、いつも笑ってるのかなって・・・思った。」

 その奈良崎の言葉に、ズキリと僕の胸が痛んだ。
 海に面した公園の岬にある石のベンチに僕たちは並んで座っていた。
 僕の肩には奈良崎の手が優しく置かれ、その手の温もりが僕を安心させていた。

「また傷つけるようなこと言ったみたいだね、俺。ごめん。」
「そんな・・・いいよ。」
「八代は何でいつも・・・いつもそんなに大人でいられるの?」
「大人?うん、なんて言うのかな・・・大人っぽくして冷静でいれば上手くいくことが多かったのかな。」
「確かにただ突っ走るよりいいかもしれないけれど、面白くはないよね。」
「自分で決めた正しい判断よりも、他人が認める合理的な判断をしてばっかで・・・・」

 どんどん胸が締め付けられていく。
 もう何も言えなくなってしまうほどに、僕の胸は痛んでいく。
 俯いた僕を優しく抱きしめる腕、そして優しく頭を撫でる掌。
 その行為ひとつひとつに優しさがこめられていて、奈良崎に大切にされているように思えてしまって、
 少しずつ僕の心は落ち着きを取り戻していく。

「自分のこと責めちゃ駄目だよ?」
「わかってる。」

 また泣き出しそうになった僕に、奈良崎はキスをしてくれた。
 他の誰かとした初めてのキスは甘くて、少し切ないものだった。










 結局僕は次の日、家に帰った。
 両親にはひどくしかられ、祖父には泣かれてしまった。
 そのことで家出したことで心配をかけてしまった罪悪感は生まれたけれど、後悔はしなかった。

「奈良崎?うん、大丈夫。追い出されたりしなかったよ。」

 携帯から奈良崎に電話をかけた。
 落ち着いたらでいいから連絡頂戴ね、そう言って奈良崎は僕を最初に出会ったコンビニの前で下ろしてくれた。

「そう?良かったじゃん。」
「まぁね。奈良崎はあの後、どうしたの?」
「俺?家に帰ったよ。でも誰もいなかったんだ。」
「何で?」
「わかんないけど、多分旅行じゃないかなー。」
「へぇ・・・・。」
「よくあることだよ。ねぇ、あのさ。」
「何?」
「京介って、下の名前で呼んでもいい?」
「・・・いいよ。僕も呼んでいい?その・・・悠って。」
「もちろん、呼んで呼んで。京介に呼ばれたらこの名前、好きになれそう。」
「嫌いなの?」
「うん、あんまり好きじゃないよ。だって女の子みたいじゃん。」
「うん、まぁそうだけど。いい名前だと思うよ。」
「そぅ?ありがと。」

 下の方から母さんの呼ぶ声がする。
 俺は送話口を手で押さええて、母さんに返事を返した。

「なんか母さんが呼んでから行くね。」
「うん、メールするよ。」
「わかった。」

 電話を切って机の上に置いてから、静かに階段を下りていく。
 誰にも言えない秘密の関係が僕の心をわくわくさせていた。
 今の僕は、15歳相応の考えをした子供の僕だった。
 
 


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