僕は学校が終わるとすぐにあの店へ行く。
 大通りからひとつ路地へ踏み込めば、もうそこは別世界。
 緩やかな陽の光で黄色に染まった石道を、僕は胸を高鳴らせ走り抜ける。
 大好きなあの人に会うために、僕は路地の突き当たりにある店を目指した。








 アンティーク ロマンチスト









「ミモザ?」
「いらっしゃい、リシェ。今日は早かったね。」
「放課後の掃除がなかったから。」

 僕は少し息を弾ませて、一言でそう言った。
 その様子にミモザは優しく微笑んで、店の中へと僕を招き入れた。
 この店で売られているのはアンティークの家具や小物、それに有名画家のレプリカとかだ。
 僕は棚の上に並べられた小物を気にしながら、お世辞にも大きいとは言えない店の奥へと足を進めた。

「お客さんは?」
「午前中に4人。いつものお婆さんと、若い女の人の2人組、それから山高帽をかぶったおじさん。」
「へぇ、多いね。」

 4人しか来なくてもこの店では多いほう。
 細い路地の突き当たりにあるこの店は、知る人ぞ知る店なんだ。

「午後は?」
「リシェが初めてだよ。多分今日はもう来ないかな。」
「何で?」
「ほら雲行きが怪しくなってきた。」

 ミモザが窓の外を覗き込むようにして見上げた。
 本当だ、さっきまで太陽が顔を見せていたというのに、どんどんと空が灰色になっていく。

「傘なんて持ってないよ。」
「閉店まで待っていてくれたら送っていくよ。」

 ミモザは不思議な人だ。
 肩に届くくらいまで伸ばした綺麗な髪に、細いフレームの眼鏡。
 背は高くてすごく細い人だけれど、温かくて優しい人。
 僕がこの店に通うようになったのは今から2ヶ月くらい前のこと。
 最初は秘密の場所、みたいな感じで訪れていたこの店でミモザと仲良くなった。
 そして僕はミモザを好きになった。

「ホント?じゃぁ、待ってるよ。おじいさんの具合どう?」

 僕が店に通い始めた最初の頃、この店の店番はおじいさんがやっていたんだ。
 そのおじいさんはミモザの本当のおじいさんで、今は具合が良くないらしい。
 だからおじいさんの代わりに孫のミモザが店番をしているというわけだ。

「いつも通りだよ、大丈夫。」
「早く良くなるといいね。」
「そうだね、ありがとう。」

 ミモザが優しく僕に笑いかける。
 僕の胸が、ドクンドクンと大きな音をたてる。

「今日、学校はどうだった?」
「いつも通りだったよ。」
「楽しいことは?」
「あんまり。うん・・・あんまりなかったよ。」

 別に学校が嫌いなわけじゃない。
 でもミモザといる時間が幸せすぎて、というのは言い過ぎかもしれないけれど、
 僕にとって同じことをしている気がする学校は面白みが無さ過ぎた。

「リシェ?」
「ここにいるのが好きなんだ。」
「そう?小さな店だけど、ここは落ち着くね。」
「うん、この店も、それからミモザと話すのも好き。」
「俺もリシェと話すのは好きだよ。」

 また、ミモザの笑顔。
 何でか知らないけれど、今日は妙に笑顔に意識がいってしまう日だった。

「あ、雨降ってきたね。」
「本当だ。もう、店閉めちゃおうかな。」
「もう少し開けていよう?」
「何で?多分、もう客さん来ないよ?」
「話してたい。」

 今日の僕はいつもと少し違っていた。
 目の前にいるのに、すぐ傍にいるのに何故かミモザが遠く感じて。
 ミモザは立ち上がって窓の扉を閉めた。
  
「どうしたの?急に元気なくなっちゃったね。」
「別に何でもないよ。天気のせいかな?」

 僕の気持ちは天気と同じように浮いたり沈んだりしているようだった。
 今の気分をアンニュイって、言うのかな。少し違うかもしれないけれど。

「寒くない?寒ければ暖房つけるよ。」
「ううん、大丈夫。」

 季節はもう秋で、夕方になれば肌寒くさえ思える日だってある。
 まして雨なんか降ったら、ジメジメする上にいつもより寒いのだ。

「リシェ、本当に大丈夫?」

 座ろうとして、ミモザは心配そうに僕を覗きこんだ。
 僕は無理に笑顔になって、大丈夫と小さく言った。
 「無理に」笑顔になって、大丈夫と「小さく」言って・・・僕は嘘つきになった。

「そう。」

 ミモザは優しかった。
 嘘つきの僕を、見逃してくれたのだ。
 やっぱり僕はミモザが好きだ、この時そう思った。

「好き。」

 思いのままに、僕は言葉を口にしてしまっていた。
 口にしてしまっても、案外戸惑いはなかった。

「ん?」

 優しいミモザと目が合った。

「何が?」

 優しいミモザは、これまた優しい口調でそう問いかけた。
 問いかけられた嘘つきリシェは、ちょっとだけ迷ってこう言ってしまった。

「ミモザ。」

 言ってしまった、でも言いたかった。
 ミモザはキョトンとした顔をして、それからまた優しい笑顔。

「リシェ、ありがとう。」

 今度は嘘つきリシェがキョトンとなる番だった。
 僕はミモザに頭を撫でられたのだ。

「ミモザ?変に思わないの?」
「誰だって好かれるのは嬉しいよ。どんなカタチでも。」
「どういう意味?」
「そろそろ暗くなってきたから店を閉めるよ。送ってく。」

 傘をさして外へ出る。
 一つの傘の中に、二人で入って歩き出す。

「リシェは俺に何を望むの?」
「望むこと?」
「そう、リシェの気持ちをわかりたい。」

 雨が地面から跳ね返って、僕の靴とズボンを濡らした。
 
「好き。すごく好き。ミモザの中の特別になりたい。」

 心に浮かんできたことをそのまま並べてしまったら、少し棒読みになってしまった。

「特別?リシェはもう俺の中では特別だよ。」
「特別なお客さんじゃないよ?」
「わかってるよ。」
「恋人・・・。」
「そう、恋人。ちゃんとわかってるよ。」

 雨の音が一層うるさくなった。
 もう少しで僕の家。
 
「リシェ、こっち向いて。」

 僕が右を向くと、優しいキスに見舞われた。
 
「ミモザ・・・」
「いいんだよね?これで。」

 僕はただ頷いて、それっきり何も言えなくなった。
 胸はただドキドキするだけで、気持ちがうまく響かなかった。

「もうじき着くよ。」
「ミモザ、教えて。」

 別れ際、やっと整理のついてきた頭で僕は言葉を綴った。

「いいよ、何?」
「何で、キスしたの?」
「俺の特別だから。」

 特別という言葉が、たったひとつだけで心に届いた。
 手を振るミモザ、笑顔のミモザを見送りながら、僕は一人で泣いていた。
 成り行きまかせの恋が実ってしまったことに、幸せを感じながら。


 僕はアンティークロマンチストのはずだった。
 でも今は、現実に生きるリアリスト。
 もう夢は見れない、今日という日には帰れない。
 


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