世の恋人たちは、今日という日を楽しみにしていただろう

 でも俺たちは違う
 クリスマスという、この幸せな日に
 俺たちは過去の清算をしなくちゃいけない
















 eighteen - 今夜だけ -


















「あら、そうなの?はいはい、わかった」


 おばさんが何やら楽しそうに話している
 俺が夕食の箸を止めると、電話を切ったおばさんは俺に言った


「霞ちゃん、明日の夜ねぇ、義基帰ってくるんだって」
「え?」


 幸か不幸か、地方の大学に受かった俺は義基兄ちゃんの実家にお世話になっている
 叔父さんのほうは今ではすごく元気になって、また農家の仕事を続けている

 この5年間で、俺は大学生になった
 叔父さんは元気になって、農家も少しだけど大きくなった 
 そして義基兄ちゃんは、一度結婚して、それから離婚した
 農家を継ぐつもりだったけど、離婚したらまた東京へ戻ってしまった

 俺はすれ違うようにこの家に来て、叔父さんたちのお世話になっている


「霞ちゃん、会うの5年ぶり?」
「…そう、ですね」
「いやぁ、義基も霞ちゃんの大きくなった姿見たらびっくりするんじゃないかしら」
「そうかもしれませんね」
「もう大学生だもんなぁ、霞も。母さん、ビール」
「はいはい」


 正直、困った
 昔、電話を一度だけした
 だけど上手く話せなくて、俺はもう義基兄ちゃんとは話せないと思った
 あの義基兄ちゃんと、会う
 どんな顔で話せばいい?どんな言葉で?どんな気持ちで?


「ごちそうさま。俺、ちょっとレポートあるんで」


 部屋のドアを閉めると、心臓がバクバクいっていた
 明日の夜、あの義基兄ちゃんが帰ってくる
























 次の日になった
 携帯の表示も12月20日、間違いない
 時間は一刻、一刻と迫ってくる
 俺の気持ちも、一刻、一刻と焦ってくる


「新幹線が夕方に着くっていうから、迎えに行ってくる」


 叔父さんの軽トラックが走っていくのを見守る
 叔母さんが楽しそうに夕食をつくるのを見守る

 義基兄ちゃん、どれくらい変わったのかな?


「ただいま」


 俺は玄関のドアを振り返る
 叔父さんに続いて、義基兄ちゃんが入ってきた


「おかえり、なさい」


 叔父さん、それから義基兄ちゃんと視線をめぐらす
 ただいま、と叔父さんが言う


「霞、ただいま」


 昔と変わらない、優しい声で義基兄ちゃんが言った
















「何で、帰ってきたの?」
「有給、使いきりたかったから」


 また太陽はめぐって、次の日
 叔父さんと叔母さんは、町内会の忘年会の買出しに出かけていていない


「そう、なんだ」


 義基兄ちゃんと、二人きり
 叔母さんが作っておいてくれた朝食を、向かいあって食べる


「霞、本当に大きくなったね」

 
 義基兄ちゃんはそう言って、微笑ましそうにわらう


「大学生だから」
「もう大人だね」


 俺は、思ったことを口にする


「義基兄ちゃんは変わんない」
「そう?そう見える?」
「うん、変わらないよ」


 少しだけ、会話が途切れる
 暖房のこもったような音だけが、部屋の中に響いている


「ねぇ、霞」
「何?」
「言わなきゃいけないことがある」
「…な、に?」


 パンを持つ手が震える
 緊張が、指先までひどく伝わってくる


「5年前、霞が俺を好きだと言ったとき、俺も霞が好きだった」


 あの夜のこと、義基兄ちゃんは俺が寝ていると思っていた
 俺は、少しだけ迷って、それから小さな声でいった


「知ってた」
「霞?」
「義基兄ちゃん、夜に一人で…俺、寝たふり、してた」


 胸が締め付けられるように、痛い
 5年間、心の中で眠っていたものが、目を覚ました気がした
 好きな人が出来ても、女の子と付き合っても、どこかにあった、このわだかまり 


「今でも、俺の気持ちは変わらない…そう言ったら、霞はどう思う?」


 その言葉に、締め付けられていた心が破裂した
 俺は立ち上がって、階段を駆け上る
 自分の部屋に駆け込んで、勢いよくドアを閉めた


「駄目…だよ」


 俺はあの日のように、床に座りこんで膝を抱えた







 コン、コン






 控えめなノックの音が頭の上でした


「霞、ここ開けて」
「……」
「霞、ごめんね」


 まるで、あの日のように義基兄ちゃんが言う
 

「霞、開けて」
「駄目、だよ…」


 でも、あの日ように俺はドアを開けなかった
 だって開けたら、義基兄ちゃんの胸にすがってしまいそうだったから

 そう、俺は今でも義基兄ちゃんが好きなんだ


「何で?」
「もう、大人になったから」
「俺はあのときも大人だったよ」


 大人だからなんて、言い訳にもならないことはわかっていた
 だけど、これ以外、言葉が見つからなかったんだ


「霞は、どう思う?俺のこと」


 胸が苦しい、胸が痛い
 大人になった俺は、あの日のような勇気がなかった
 言葉にならない想いが、涙になってポロポロ零れる


「……」
「霞…」


 ドアを挟んで、俺たちは何をしてるんだろう
 

「俺は結婚した、でも駄目だった。霞のことがあったから。だから、はっきりさせたい」


 黙っている俺に、義基兄ちゃんの言葉が突き刺さる
 それほどまでに想っていてくれたことが嬉しい、でも…悲しい


「霞…はっきり、したいんだ」


 義基兄ちゃん、泣いている
 声が頭の上じゃなくて、耳のすぐ横で聞こえるようになった
 つまり俺たちは、ドアを挟んで背中合わせに座ってるってこと


「霞…お願い」
「…好き、だよ」
「…」
「好きだよ、好きだよ、義基兄ちゃん」


 だけど俺はドアを開けなかった


「…わかったよ」


 それだけ言って、義基兄ちゃんはドアから離れた
 階段を降りる音が、いつまでも俺の頭の中に残っていた


















「ねぇ、霞ちゃん」
「はい?」
「クリスマスイブの予定は?」
「今のところは…」
「義基が映画、見に行かないかって」
「義基兄ちゃんが?」


 どういうつもりだろう?


「あのね、叔母さんが映画の招待券をあてちゃったのよぉ」
「えぇ」
「お父さんと行くつもりだったんだけどさぁ、農協の忘年会がねぇ」
「で、義基兄ちゃんと俺、ですか?」
「そう、義基にあげたら、霞の予定聞いておいてだってさぁ」


 俺は考える
 昨日から、義基兄ちゃんと口をきいてないどころか、顔すら合わせていない


「まぁ、絶対じゃないけどねぇ…どうせ、一般公開もする映画だしねぇ」


 叔母さんは、朝食の片付けに戻る
 俺は食器を運んで、鞄を肩にかけた


「わかりました、考えておきます」
「そう、よろしくねぇ」
「いってきます」


 大学の友達と約束していた、ケーキ屋のバイトに行くために、俺は家を出た

















「ただいま」
「おかえり」
「…義基兄ちゃんは?」
「義基なら、部屋。霞ちゃん、夕食食べた?」
「はい」
「お腹すいたら、言いなさいね」
「ありがとうございます」


 俺は階段を上って、自分の部屋に向かった
 映画のことは、まだ考え中だ
 クリスマスイブまであと二日あるけど、微妙なところだ

 と、机の上にメモが乗っているのに気づく
 手にとって見れば、義基兄ちゃんからの手紙
 下の方には、携帯番号
 相変わらずの綺麗な字、男のくせにと、また思った



『母さんから、映画のこと聞いたよね?
 もしよかったら6時に映画館の前で待ってるよ』


 
 手紙の言葉が、頭の中で再生される
 あの優しい、義基兄ちゃんの声で…
 俺は手紙を机の隅に置いて、ベッドに横になった














 24日、約束の日
 その日俺は大学のサークルのクリスマスパーティーに顔を出していた
 夕方になって、ちょっとお酒も入り始めた頃


「カラオケでも行きますかぁ!」


 先輩が楽しそうにこう叫ぶ
 みんなも、それにのる
 だけど、時計を見ればもうすぐ6時


「藤島は?どうする?」
「…俺、ちょっと用事があるんで」
「ん?デートか?」
「…違いますよ!」


 俺は挨拶もそこそこに、会場になっていた部屋を飛び出した
 走っても間に合わない、だけど映画は7時からだったと思う

 義基兄ちゃん、お願い、待っていて












 †††












「ふぅ…」


 携帯の時計は『18:09』
 映画館の前は、恋人や親子連れで溢れかえっている
 一人で立っているのが、少しつらくなってきた

 携帯を閉じたり開いたり、手でもてあそぶ
 霞には、一応番号は教えておいた
 手の中の携帯が鳴るのを期待していたら、隣の人の携帯が鳴った

 誰もが知っている、あのクリスマスソング
 その人が去っていくと、俺は一人でその歌詞を口ずさんだ


「きっと君は来ない…なんてね」


 クリスマスなのに、なんて切ない歌詞なんだろうと思う
 まるで、俺じゃないかとも思ったそんな時だった


「義基兄ちゃん、ごめん…遅れて」


 霞が、目の前に立っていた
 走ってきたのだろう、息を弾ませている
 不安そうな目が、俺を見上げている


「大丈夫だよ…中、入ろうか」


 映画中は二人とも黙っていた
 その映画は『願い事屋』というタイトルで、少しファンタジックなものだった


 弱気な青年タカハラは、幼馴染のユイカに恋をする
 だけど告白ができなくて、その恋を諦めようかとも思い悩んでいた
 そんなときに聞いたのが『願い事屋』の存在で…
 タカハラは『願い事屋』に会いに行き、告白する勇気をくれるように頼む
 『願い事屋』はたかはらのために、宇宙から星屑を一つ拾ってそれを専用の打ち上げ台にセットする

「いいですか、流れ星を飛ばしますよ」

 タカハラは一生懸命に、お願いする
 ユイカに告白するための勇気をください、と
 結果、告白は大成功
 二人の想いは通じ合い、幸せに暮らしました......



 こんな話だった
 俺も『願い事屋』がいたらいい、そう思った




「どうする?次、どこ行こうか?」


 映画の後、俺たちは街を何をするでもなく歩いていた


「このまま、少し話していたい」


 霞は控えめに、こう言った
 

「じゃぁそうしようか…」


 俺はその申し出を受け入れることにした 
 
 それから色々な話をした
 霞の大学のこと、俺の仕事のこと
 桜に彼氏ができてね、今日デートなんだってと霞は言う
 俺が12歳のときなんて、デートなんてしなかったよと俺は笑う
 
 幸せだった、昔のようで

 話していくうちに、俺たちは時間を遡っていく
 すれ違ったままで、抑えたままで過ごしてきた5年間をゆっくり戻っていく


「ねぇ、義基兄ちゃん」
「何?」
「離婚、俺のせい?」
「違うよ、霞のせいじゃない。俺が駄目なだけなんだ」

 
 俺は、笑顔をつくる
 霞の不安を消さなくちゃいけない、そう思って


「ねぇ、霞覚えてる?」
「何を?」
「昔さぁ、霞が駅前で傘を持って待っていてくれたこと」
「覚えてるよ」


 霞はビニール傘をさして、俺の傘を手に持っていた
 それから雨の日、傘を忘れると駅前で霞を探したことも、言う
 霞と別れてからも、何度もそう思ったことがあったと、付け加えて


「そうだったんだ」
「昔の話をすると、悲しくもなるし嬉しくなるよ、それから懐かしくも…
 何でだろうね、何で人はこんなにも沢山の感情を持っていられるんだろうね
 心はひとつしかないのにさ、何でこんなに欲張りなんだろうね…」

 
 夕日の色みたいに、言葉にはできない想いが押し寄せる
 小さく漏れた溜息が、微かに白く煙った


「でも、それが人のいいところだよ」


 霞が静かに言う
 俺は霞の中に大人を感じて、少し切なくなる
 時間はやっぱり流れているんだ、そう思って


「義基兄ちゃんは、いつからサンタを信じなくなった?」
「そうだな…中学くらいかな」


 サンタを信じていた子供のときは、素直だった
 

「子供はいいね、何もかも素直でいられて」
「そうだね…サンタがいないってわかったとき、どう思った?」
「あぁ…そんなもんかなって。霞は?」
「俺も、同じだよ」


 サンタがいないとわかっても、泣いたりした覚えはない
 子供は素直だけど、心のどこかでそれが幻想であることをしっかり知っている

 
「さっきの映画、よかったね」
「うん…『願い事屋』が欲しいと思ったよ」
「俺もだよ、義基兄ちゃん」
「霞は何をお願いするの?」


 霞は流れ星を探すかのように、夜空を見上げた
 それから息を深く吸い込んで、小さな声で言う


「義基兄ちゃんが幸せになれますように、って」


 霞と目が合う
 俺は、霞と一緒にいられることを望んだ
 だけど霞はそうじゃなくて、俺の幸せを望んだ
 自分の浅はかさというか、稚拙さを感じて情けなくなった


「義基兄ちゃん、どうしたの?」
「ごめんね、霞」


 思っていたことを口にする
 そうしたら、霞は微笑んで言葉を返した


「ありがとう、義基兄ちゃん」
「…何で、そんなこと言うの?」
「嬉しいから」


 大人になった霞は、変わった
 感情をぶつけるだけじゃなくて、微笑みの下に隠せるようになった
 
 そのことが、酷く悲しい


「霞…変わっちゃ嫌だよ」
「義基兄ちゃん…俺も、はっきりさせようと思うんだ」
「うん…」


 俺たちは、また別れる
 一緒には、ならない
 体裁とかそういうのじゃなくて、互いの本当の幸せを願うから


「だから、今日だけ5年前に戻らせて…あの日、できなかったこと、いっぱいあるから」
「…いいよ」


 手を繋いで寄り添って歩いた
 寒いからと言い訳して、肩を抱いた
 通りの隅で、霞を抱きしめた
 それから、柔らかなキスをした

 

 今夜だけ君を抱きしめさせて

 今夜だけ君に触れさせて

 今夜だけ君を愛することを許して



 唇が離れる、離れた先から言葉が溢れる


「好きだよ、ずっと大好きだったよ…」
「俺もだよ霞…大好きだよ」


 溢れた言葉は止まらない
 別れる前に、この心を綺麗に流さなきゃいけない
 5年間溜めてきた、美しくも切ない、悲しくも嬉しいこの想いを
 全て、伝えて、それから別れよう

 俺たちはこの5年間の清算をするために、ここに立っているんだから


「ずっと会いたかった…こうやって抱きしめて欲しかった」
「あれから霞のことが忘れられなかった…好きで、好きで、たまらなかった」
「好きだよ…本当に、好きだよ」
「大好きだよ、霞…」
「ねぇ…義基兄ちゃん」
「なに?」
「あの日、俺は子供だった…だから言えなかったこと、言っていい?」
「うん、いいよ」
「義基兄ちゃん……愛してる」


 あぁ、俺はこの言葉を待っていたんだ
 深いけど、重いけど、この言葉が何よりも…欲しかった


「俺からも言うよ…愛してる」


 欲しいものを手に入れた
 これがふっきれるためのキーワードだったみたいで…
 どちらからともなく、俺たちは離れた

 溢れた涙が伝い落ちていく、霞の頬にも俺の頬にも…


「ありがとう、義基兄ちゃん」
「…霞、ありがとう」


 俺たちは日記のページを埋めた
 あの日書けなかった思い出を、5年経った今日、やっと書くことが出来たんだ



















「気をつけて。向こうでも頑張ってね」
「霞も勉強、頑張ってね」


 出発の朝、今日で有給は終わり


「うん」


 清算は終わった
 やっと、俺たちは互いの幸せを願えるようになった
 じゃぁねと、言おうと思って口を開いた


「またね」 


 霞は、またねと言う
 再会を約束する言葉に、俺は幸せを感じた


「またね」


 抱きしめもせず、キスもせず、手を振るだけで俺たちは別れた
 
 霞とのことは、もう思い出として心に残しておける
  初めて人をこんなに好きでいられた、一生大切にしたい大事な思い出として...

 


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