男は逃げていました

 追手から そして罪を犯した自分自身から










  *










 逃げた男の辿りついた先は 小さな家の物置でした

 その日は本当にひどい大雨で 男はずぶ濡れでした
 



 "はぁ・・・・・はぁ・・・・"




 二つほど前の町で追手から逃れたものの いつ見つかるかわかりません

 見つかれば またもとのように刑務所行きです

 そう 男は脱獄囚だったのです




 "大丈夫ですか?"




 しゃがみこんで顔を伏せた男に 声をかけた者がありました
 



 "誰だ?"

 "僕はこの家の者です。そこでは寒いでしょうから家の中へどうぞ。"




 声をかけた者は少年と呼ぶには あまりにも落ち着いた態度で

 青年と呼ぶには あまりにも華奢で幼げな風貌をしていました










 "どうぞ。"


 男は差し出されたホットミルクに ゆっくりと口をつけました

 ほのかな甘さが口内に広がり 男の心の中に落ち着きが戻ってきました




 "僕の名前はアルルです。"




 アルルは自分から名乗ったものの 男の名は聞こうとはしませんでした




 "なぜ俺の名を問わない?"

 "あなたは有名人ですよ。ねぇ、ミレトスさん。"

 "やっぱりそうなんだな。"




 男の名は新聞の一面を飾り 世間を賑わせていました

 アルルが知っていても不思議なことではありませんでした




 "ところでお前は何者だ?"




 ミレトスはアルルに尋ねました

 そのとき初めてミレトスは アルルの瞳が美しい群青色だということに気がつきました

 そして胸元に下がるネックレスの宝石は その瞳と同じような色をしていました

 アルルはふっと微笑んで 一言こう言い放ったのでした




 "僕は魔法使いですよ。"












 それから 魔法使いと脱獄囚との生活が始まりました

 魔法使いのアルルは 魔法使いらしく猫を飼っていました

 しかしその猫は 本当に綺麗な白猫でした




 "お前、俺が怖くないのか?"




 ミレトスは アルルにこう尋ねたことがありました




 "怖くありませんよ。"




 アルルは 迷うことなくそう答えました

 魔法使いであるアルルは ミレトスにとっては少し異質なものでありました

 彼が人間ではない という恐怖に似たものに囚われていたからかもしれません




 "ミレトスさんは僕が怖いですか?"

 "怖くねぇよ。"

 "そうですか。珍しい方ですね。"




 一瞬だけ アルルの表情に寂しさの影がさしました

 嘘をついたことに気づいてしまったのだと ミレトスはわかりました

 アルルが住んでいるこの家は 町から外れた山のふもとにありました

 彼が除け者にされているのは 明らかなことでした




 "少し、怖いかもしれねぇな。"

 "大丈夫ですよ。僕は何もしませんから。"




 アルルは料理が得意でした

 しかし彼は魔法使いらしく 料理をしました

 調味料は自分で勝手に動いていました

 野菜は包丁が自分で切ってくれていました

 鍋が噴きこぼれそうになると コンロは火を消しました

 アルルの後姿に ミレトスは昔の恋人を重ねてしまいました

 戦争で命を落とした彼女は アルルと同じ群青色の瞳をしていました










 日に日に ミレトスはアルルの魅力にとりつかれていきました

 昔の恋人と重ねているからではありませんでした

 魔法をかけられたのでもありません

 それでもミレトスの頭の中は アルルでいっぱいになってしまっていたのです




 "アルル・・・いや何でもない。"

 "あなたはこの頃よく僕の名前を口にしますね。"

 "そうか?"

 "えぇ。こんなに名前を呼ばれることなんてありませんよ。"


 
 
 アルルは ミレトスに名前を呼ばれることが嬉しいようです
 
 


 "たくさん呼んで下さいね。"

 "あ、あぁ。"




 ミレトスは 少し照れたように笑ってこう答えました

 こんなにも短い時間でも 互いに惹かれあうことはあるようです

 互いが 互いの気持ちを 何となくではありますが 感じ取っているようでした

 アルルとミレトスの間には 恋というものが生まれつつあったのです

 日に日に強くなるその気持ちは 二人の心に小さなトキメキを覚えさせていました












 そんな安らぎある 幸せな日々のことでした

 その日は とても綺麗な満月の夜でした




 "ミレトスさん、ちょっと。"

 "何だ?"

 "あの人たちに見覚えはありますか?"

 


 ミレトスが小窓から外を覗くと 遠くから2人の男がやってくるのが見えました




 "俺を追ってる奴らだ。"

 "こっちに向かっていますね。"

 "やばいな。"

 "逃げましょうか?"

 "どうやって?追っ手はすぐそこまで来てるんだぞ?"

 "こっちへ来てください。"




 アルルは ミレトスを勝手口へと連れていきました

 そして立てかけてあるホウキを手に取りました


  
 
 "さぁ、こちらへ。"



  
 扉を開けると 二人を乗せたホウキは空へと軽やかに舞い上がりました


 

 "しっかり掴まっていてくださいね。"




 地面はどんどん離れていきます

 ついには追っ手の二人が見えないほどの高い空を 二人は飛んでいました

 目の前には 蜜色の満月が輝いていました




 "逃げ切れたようですね。"

 "あぁ。"

 "高いところは大丈夫ですか?"

 "大丈夫だ。"

 "今夜は月が綺麗ですね。"

 "そうだな。"




 二人はホウキに腰掛けるようにして座り直しました

 こうしたほうが 綺麗な満月も 互いの顔もよく見ることができるからです

 ミレトスは自分の手を そっとアルルの手の上に重ねました




 "魔法使いは、人間に恋をしてはいけないのです。"




 アルルは真っ直ぐ前を見つめて はっきりとそう言いました

 その言葉に ミレトスは戸惑いを隠せませんでした

 


 "でも、その掟を守ることができなさそうです。"




 離れかけたミレトスの手を アルルはしっかりと握り返してそう言いました




 "アルル・・・・・"

 "僕はあなたが好きです。"




 その瞳には迷いも偽りもなく ただひたむきな そして真っ直ぐな光があるだけでした

 


 "俺もだ、アルル・・・好きなんだ。"

 "誰かと気持ちが通じることがこんなにも嬉しいことだなんて知りませんでした。"




 満月が夜空を蜜色の光に染める中 二人はキスをしました

 たった二人だけのこの場所で 最高の幸せが二人を包み込みました

 アルルの胸元に下がる宝石が 月明かりに照らされて 青く青く輝いていました

 その宝石の名は ラピスラズリと いいました......





 

 


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