「好きだよ。」

 一学期の終業式の日、俺は葉月にそう言った。





 The Four Seasons ―向日葵色の自転車―





 俺の名前は滝川青嵐(たきがわせいらん)という。
 葉月こと、平沢葉月(ひらさわはづき)とは中学から一緒の大親友だった。
 同じ高校に進学してから、俺は葉月を「好き」なことに気が付いた。
 葉月の何気ないちょっとした仕草や表情に、俺の心は大きく揺さぶられた。
 告白に終業式という日を選んだのは、ある理由からだった。
 もし葉月に拒絶されたとき、しばらくの間、顔を合わせなくてすむからだった。
 俺は帰り際、葉月を中庭の隅に連れて行った。

「何?どうしたの?」
「葉月、大事な話がある。俺がこれからいうことは本当に真面目なことなんだ。」
「珍しいね、青嵐がそんな風に言うなんて。で、何?」
「葉月、お前が好きなんだ。」
「好き?急になんか改まっちゃって・・・」
「好きなんだ。付き合いたい。」

 その言葉に葉月の顔色が変わった。
 いつものおっとりした優しげな表情は消え、ただ驚きと不安に満ちた表情をしていた。

「俺・・・のこと・・・」
「好きだよ。」

 俺は覚悟を決めて、真っ直ぐに葉月を見つめてそう言った。
 葉月の視線は不安定に揺れ、指先は茶色がかったクセっ毛をくるくると弄っていた。

「葉月、答えが欲しい。YesでもNoでもいい。」
「・・・答え・・・」

 それからしばらく葉月は口をつぐんだままだった。
 その瞳は俺を捕らえようとはせず、葉月は何かを言おうとしている乾いた唇を舌先で舐めた。
 段々と俺の理性が、答えが欲しいという苛立ちと、葉月を求める欲望にかき消されていった。

「青嵐・・・。」

 緊張してように掠れた声でそう呼ばれた瞬間、俺の中の理性は崩れ去った。
 葉月を壁に押し付けて、無理矢理のその唇を奪う。

「んっ・・・いやっ・・・」

 悲鳴に似たような声をあげて、葉月は精一杯の抵抗をした。
 俺が押さえつけていた手首を離すと、葉月はペタリと地面に座り込んでしまった。
 葉月の震える体と溢れ出す涙を見て、俺はやっと正気に戻った。
 その瞬間、取り返しのつかないことをしてしまったという絶望感に襲われる。

「は・・・づき・・・」

 葉月は顔を上げずに、嗚咽交じりの声で一言こう言い放った。

「青嵐なんか・・・大っ嫌いだよっ・・・・」

 俺がいなくなるにはこの言葉で十分だった。
 まるで俺は逃げるように、その場から走り去った。










 それからあっという間に月は変わり、8月になった。
 あの日から、当然のことだけど俺は葉月と一言も口を聞いていなかった。
 そんなむせ返るような暑い夏の日のこと。

「・・・・葉月から?」

 突然、葉月からメールが送られてきたのだ。
 しかも一緒に旅行に行かないか、という。
 胸に残るわだかまりを抱えながらも、俺はOKの返事を出した。











 待ち合わせの日。
 俺は今までに感じたことのないような不安を抱えながら、改札口に立っていた。

「青嵐。」
「葉月・・・。」

 葉月を見た途端、あの日の光景が甦ってきて俺の胸を締め付けた。
 俺の大好きな優しげな笑顔で、葉月は俺のもとへとやってきた。

「これ、新幹線の切符。急に誘ってごめんね。」
「いや・・・別に。」

 切符を受け取り、改札をくぐり抜ける。
 俺と葉月は新幹線に乗り込んで、座席に腰を下ろした。

「多分、2時間くらいだから。」
「あぁ。」

 俺と葉月の会話は、ぎこちないばかりで弾まない一方だった。
 新幹線から降りた後は、路線バスに乗り込み、3つ目の停留所で降りた。

「ここから少し歩いたら着くから。」
「うん。」
 
 着いたところは葉月の親戚の別荘だという小さな家。

「おじゃまします。」
「荷物、適当なところ置いておいて。」
「うん。」

 今日から4日間、俺はこの場所で葉月と二人きりで過ごすのだ。

「ご飯とかはコンビニでいいよね?」
「あ・・・うん。」

 葉月に話しかけられる度に、俺は短い返事しか返せないでいた。
 昼ごはんは新幹線の中で済ましてきたから、今はちょうど3時になる。

「トイレとお風呂はその奥で、寝るのは2階になるから。」
「わかった。」

 そう言って葉月はパタパタと2階へ上がっていった。
 俺は1人リビングに取り残され、何をするでもなくソファに身を沈めていた。








「ご飯、買いにいこう。」

 葉月がさっき2階に上がっていったのは布団の準備をするためだったらしい。
 夕方になって俺達はまたバスに乗り、駅前のコンビニで今日の夕食と明日の朝食を買った。
 帰ってきてからも、食事中も俺達は殆ど会話を交わせなかった。
 葉月は、俺を旅行に誘った理由を言おうとはしなかった。
 殆ど会話を交わせない状況の中で、それを聞き出すタイミングを見つけられず、
 結局その日はそのまま就寝、ということになってしまったのだった。












 次の日。
 夏だというのに、涼しくて過ごしやすい夜だった。

「青嵐、今日何かしたいことある?」
「別にないよ。葉月にまかせる。」
「そう?じゃぁ、散歩行かない?自転車で。」
「自転車?いいよ。」

 別荘に置いてあった2台の黄色い自転車それぞれに、俺と葉月は跨った。
 最近アスファルトになったばかりらしい道路を、前を葉月が、後ろを俺が走る。

「どこ行くんだ?」

 後ろからそう問いかけた俺に、葉月は振り返らずにこう答えた。

「秘密!」

 その言い方があまりにも可愛くて、俺は思わず笑みを浮かべてしまった。
 道路を何回か曲がって、大通りと林の中を抜けると、長い上り坂が現れた。

「一気に上るよー!」
「あぁ。」 

 二人して息を切らせながら、足でペダルを一生懸命押し出す。
 
「あと・・・少し。」

 坂の頂上に辿りついたものの、坂の下は茂っている左右の木に邪魔されて見ることが出来ない。

「はぁ・・・よし、降りよう。」
「うん。」

 一度話した足をもう一度ペダルの上に乗せ、今度はブレーキをかけながら急な坂を下る。
 下った先に広がっていたのは・・・











「向日葵・・・」










「そう!これ見せたかったんだ〜」

 真っ直ぐな道の両側には、黄色い向日葵の花が咲き誇っていた。
 一面を埋め尽くすその"向日葵色"は、すごくすごくまぶしかった。

「すげぇ・・・」
「すごいでしょ?綺麗だなぁ〜・・・」

 向日葵に囲まれたこの道で、俺達は休憩を取ることにした。

「東京じゃ、見れないから。」
「そうだな。すごくでかいんだ、こっちのって。」
「うん、毎年これくらいあるよ。」

 太陽は照っていても、吹き抜ける風が涼しいせいか、それほど暑さを感じない。
 むしろ向日葵に囲まれながらそよ風を受けるのは、気持ちが良かった。

「毎年来てるのか?」
「うん。今年はいけないはずだったんだ。みんなの都合が合わなくて。」
「だから俺を誘って?」
「ぅん、まぁ・・・それに、仲直りのチャンス、かなって・・・」

 俺があんなことをしたというのに、葉月は仲直りを考えていたらしい。
 驚く俺に、葉月は照れたような笑顔を向けた。

「何で・・・お前。」
「大嫌いとか、言っちゃったから。」

 あの日の言葉が、「青嵐なんか・・・大っ嫌いだよっ・・・・」という言葉が甦ってくる。

「あれは俺が・・・」
「青嵐のこと嫌いじゃないのに、そんなこと言っちゃったから。」
「俺は・・・お前にそう言われても仕方ないことしたんだから。」

 葉月はぅうんと小さく首を振った。
 これでは葉月が悪いみたいで、俺の胸がズキズキと痛んだ。

「葉月・・・。」
「青嵐は・・・」

 そう言いかけて葉月が迷ったように口をつぐんだ。
 俺は何も言わずに、じっと葉月の言葉を待った。

「今でも、あんなこと言われても・・・俺のこと同じように好き?」

 さぁっと一陣の風が吹き抜けた。
 その言葉の意味が俺にはわからなかった。

「青嵐?」
「・・・好き、だよ。」

 名前を呼ばれ、俺は我に返ってそう言った。
 その言葉を呟くと、どうしようもない切なさが胸にこみ上げてきた。

「そう?じゃぁ、付き合おう?」
「え・・・・・?」

 あまりにもあっさりと言われたその言葉。
 俺の頭はどんどんと混乱していくばかりで、収拾がつかない。

「あの日の答え。なんか随分びっくりしてるね。」
「そりゃ・・・」

 何で葉月は急にそんなことを言い出したんだろう。

「何でって思ってる?」
「うん。」
「俺も、青嵐のこと好きだから。」
「それだけ?」
「それだけだよ。」
「じゃぁ何で・・・」
「あの日に答えを返さなかったのか?時間が、足りなかったんだ。」
「そんなに俺、せっかちだった?」
「俺にとってはね。だって・・・」
「だって?」
「青嵐のことは大好きだけど、大好きだけど・・・親友がいなくなるのは嫌だった。」

 そう、俺と葉月は親友なんだ。
 親友、なんだ。

「葉月・・・。」

 泣きそうになった葉月が俯いていた顔を上げ、俺を真っ直ぐに見つめて言った。

「ねぇ、青嵐。俺と青嵐が恋人同士になっても、俺と親友でいてくれる?」
「・・・もちろん。」

 俺がそう言うと、葉月が嬉しそうに笑った。
 まるで、向日葵のような、そんな素敵な笑顔。

「ありがとう。」
「お前、なんか・・・」
「何?」
「調子狂うじゃん・・・」

 俺の瞳からポタポタと涙が零れ落ちる。
 俯いて顔を伏せると、乾いた地面に黒い斑点が落ちた。

「青嵐?泣いてんの?」
「だって・・・」
「大丈夫?ごめんね。」
「何で謝るんだよ。」
「だってなんか・・・俺が泣かしたみたいじゃん。」
「違うって。何で昨日言わなかったんだよ。」

 昨日だって俺達は一緒にいたんだ。
 俺はともかく葉月は、結構話しかけてくれたというのに。

「昨日は、青嵐と上手く話せなかったから。」
「・・・ごめん。」

 やっぱり俺のせいか、と俺は溜息をつく。
 
「いいって。ちゃんと仲直りできて、良かった。」
「葉月。」

 名前を呼んで目が合うと、何故だか俺はドキドキした。
 
「何?どうしたの?」
「なんか照れる。」
「なんでー?前からずっと青嵐は・・・・俺のこと、そう呼んでたでしょ?」

 葉月にもそれは伝染したらしく、ほんのりと頬が赤くなる。

「染ったじゃん。」
「なんかおかしいな。」

 俺達は笑いあった。
 今までと変わらなかった嬉しさと、今までと変わった幸せを抱きしめて。

 高校1年の夏、向日葵畑にて、親友そして恋人と。


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